入塾年齢:18歳
進学先:佛教大学 通信教育課程 歴史学部 歴史学科 日本史専攻
現在の所属:株式会社ビービーシープ BB SHEEP COFFEE 神戸本店 調理 チーフ
1. 不登校し、ダルボイ・アカデミーに入塾するまでの様子は?
A. 不登校をし始めたのはいつですか?
学校をやめてから2年間は、何をしてどう過ごしていたか、辛すぎたのか全く記憶がありません。朝に学校に行く学生の声を聞くのが苦痛で、朝寝て夜起きる昼夜転倒の生活をずっと送っていました。起きている間は絵を描いたりゲームをしたり、とにかく先を考えると不安に襲われるので思考を止めるために没頭できることを必死で探していました。まったく行けなくなって退学したのは高校1年生の時でしたが、中学2年の時からすでにクラスメイトとのテレビやアイドルについて等の会話に入っていけず、何のために生きるのかというような悩みを誰にも話せず孤独でした。仲間外れにされるのが怖くて仮面をかぶって周りに必死で合わせていましたが、噓の自分を演じることに疲れきってクラスに入れなくなり、別室で自習して登校を認めてもらうことで誤魔化しながら毎日を送っていました。
B. 自宅に引きこもったことはありますか?
はい。高校中退から2年後にダルボイの前身である師友塾に入塾しましたが、無気力で対人恐怖にも陥っており、32歳でようやく動けるようになるまで自宅に引きこもっていました。このままではいけないという焦りから、外に出るために習い事などをしてはいましたが、長続きはしませんでした。
C. 不登校し始めたとき、どのような気持ちでどのような生活を送っていましたか?
高校、大学、就職というレールから外れてしまったら、もう生きてはいけないという考えしかありませんでした。もとのレールに戻らなければという焦りと、でもそこに戻ったところで、また仮面をかぶって生きなければならない絶望感に板挟みになって動けませんでした。
D. そのときの家族の反応はどうでしたか?
母はとにかくなんとかして学校に戻さなければとの思いが強くて、毎朝行く、行かないの押し問答で衝突していました。父や弟は、どう接していいのかわからなかったのだと思いますが、私のことを避けるようになりました。
E. そのとき特につらかったことは?
弟が1才違いで普通に学校に行っていたので、どうしても負い目を感じていましたし、比べてしまうことが辛かったです。
F. そのとき、今から思えば、びっくりすることは?
潔癖症になって部屋を片っ端から掃除したり、急に髪の毛が大量に抜けたりと、体にも心にもいろいろな症状がでていました。
G. 何か心の支えになることはありましたか?
引きこもっている間は毎日、何か熱中できることを探していました。絵を描いたり、お菓子作り、手芸など、自分の中のエネルギーを何かにぶつけて発散して、言葉にできないことを何かしらの方法で表現しないと自分がおかしくなってしまう、と必死でした。決して分かってやっていたわけではないですが、今考えると助けられていたと思います。
2. ダルボイ・アカデミーを選んだ理由
フリースクールというと、学校に行けない人が通う暗いところ、という勝手なイメージを持っていましたが、ダルボイ・アカデミーは建物の内装が明るくて、塾生も元気よく挨拶してくれて他のところとは違うと感じました。自分もこんな風になれるかなと、前向きなイメージを持つことができました。また、ダルボイでは文学や哲学など様々なことをヒューマニティーセミナーで学び、また塾生同士やスタッフと語り合え、聞いてもらえるので、内心を打ち明けて真剣な話ができることも選んだ理由です。
3. 元気になったきっかけ
入塾してからも元気になるまでは時間がかかりましたが、その間に自分と同じように学校に合わず、悩み苦しんでいる人がホッとできる場所を、助けてもらった自分が広げ、恩返ししたいと思えるようになったことです。自分の中で「生きがい」ができたことが大きなきっかけだと思います。
4. 今の自分と昔の自分、一番変わったところは何ですか?
昔は先のことを考えてばかりいて、不安に苛まれ、失敗を恐れて動けなくなっていました。不登校をしたことで自分に対して自信がまったくなくなり、行ったことのない場所、初めて経験する物に対して恐怖心しかなく、一人で外出することも難しい状態でしたが、ダルボイ・アカデミーでの合宿やヒューマニティーセミナーでテーマをもらって塾生皆で調べて発表するなど、塾のプログラムを通して少しずつ自信を回復し、今は新しい物事に対してもチャレンジしたいというワクワク感を持って臨めるようになりました。
5. 今の不登校生へ(参考にしてください、マイエピソード)
私は不登校してからもなかなか元気になれず、紆余曲折を経てきましたが、その時間はまったく無駄にはなっていない、と感じています。今私はBB SHEEP COFFEEで厨房スタッフをしていて、かつて引きこもっていた時に熱中したお菓子作りを仕事にさせてもらっています。ここまで拙い文章でしたが、何が後々生かされるかは分からない、良い意味で先のことは決まっていないと、少しでもホッと気持ちを軽くしてもらえたら幸いです。