新しい学校 + 人間育成の総合塾 ダルボイ アカデミー

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不登校体験記 / 清水 侑

ABOUT US / SUSUMU SHIMIZU

清水 侑
入塾年齢:16歳
進学先:ピアス・カレッジ 一般教養学部(米国滞在歴4年)
現在の所属:株式会社ビービーシープ BB Farm 生産販売 チーフ

1. 不登校し、ダルボイ・アカデミーに入塾するまでの様子は?

A. 不登校をし始めたのはいつですか?

 不登校をしがちになり始めたのは、2009年の年初からでした。小、中学校と地元の学校のために昔からの知り合いが多かったのですが、その仲間内の中で年を重ねていき中学進学前後で受験勉強というワードが飛び交い始めました。受験はしなくてはいけない、いいところに行かなければいけない、という周りの空気に流されて、進学塾に何も考えないままに通いました。しかし、自分が受験まで、数ヶ月と迫った中学3年生の2009年の年初に年跨ぎで受験勉強追い込み合宿に参加しました。必死に勉強して進学を目指す仲間たちと何も理由もなく、何故勉強するのかわからない自分とでは熱の差がありました。結果、引きこもりがちになっていき、無欠席の皆勤賞であった学校に仮病でズル休みをしてしまいました。この頃から不登校が始まりました。最終的に高校には進学したのですが、周りの雰囲気に合わず1週間で行かなくなり、不登校をしました。

B. 自宅に引きこもったことはありますか?

 15歳ごろから不登校をし、自宅に引き込もりになりました。しかし、一歩も部屋から出なくなることはありませんでした。部屋にいると辛く悲しいこと、また、家族と顔をあわせることがしんどかったので、よく外出していました。
また、アニメや映画、TVで時間を潰していたので、レンタルビデオ屋に行くことが日課になっていました。

C. 不登校し始めたとき、どのような気持ちでどのような生活を送っていましたか?

 「何故学校にいけないのか?」「何故自分は動けないのか?」「親を悲しませて家にいるのは何故?」「自分はダメなやつだ」という負の感情に支配されており、ネガティブでした。そのために、学校に行こうとしたり、転校してやり直そうとしても気力が湧かず、結局部屋に戻って自分はダメだと悲観的になっていました。

D. そのときの家族の反応はどうでしたか?

 両親ともに何が起こっているのかわからない。理解できないという感じでした。自分を学校に通わせようと試行錯誤していましたが、だめでした。両親のことで印象に残っているのは、母が仕事を休み、自分を電車で送って行こうとした時のことです。高校の最寄りの駅に着いた時に自分の足が動かなくなり、ホームで立ち尽くしている時に母に泣かれたことが目に焼きついています。自分が母を泣かせているとわかっているのに動けないことに、申し訳なく、悲しかったです。
 そんなんか父も引きこもった当初に、自分になんで行かないのか聞きに来ました。しかし、自分は何で行けないのか答えが言えなかったです。そうすると、「何で行かないんだ!」と父に蹴られたことがあります。その時のことはゆっくりと時が動いていたようによく覚えています。本当に自分はだめなやつなのだと思った瞬間でした。

また、妹も自分が不登校をして1年経たないくらいで不登校をしました。
自分のせいだと感じ、何もできなかったです。

E. そのとき特につらかったことは?

 不登校をして動けない自分に対する不甲斐なさ。家族を悲しませている罪悪感。


F. そのとき、今から思えば、びっくりすることは?

 変なエネルギーがあったのか、気になる映画やアニメがあったらレンタルビデオ屋をはしごして探したこと。ほとんど1日掛けて都内中を探していました。

G. 何か心の支えになることはありましたか?

 何もなかったです。何もないので、何かをしていないと気持ちが持ち堪えられず、映画やアニメ、TVを見ることに逃げていました。

2. ダルボイ・アカデミーを選んだ理由

 妹が自分と同じ中学校に通っていたために、その校長先生が自分のこともよく知っている地方でした。母と校長先生が妹が不登校をしたために面談をした際に、偶然校長先生が師友塾のことをご存知で、妹を誘ってくださったのですが妹が動かなかったために、自分に話が入りました。留年しかけていたために転校をしようと考えていた時期でしたので、面談を受けました。塾に行くと、まず「こんにちわ」と塾生が声をかけてくれたことに面を食らいました。挨拶など久しくしていなかったからです。また、あからさまに暗い自分に声をかけてくれるスタッフの方や先輩塾生がいました。今まで「学校」という雰囲気のところしか知らなかったので、「塾」の雰囲気がいいなと思い、入塾しました。

3. 元気になったきっかけ

 毎年夏に北海道、弟子屈で合宿をしていました。今は「Fishing Academy」と名前を新たにした合宿です。周りからはネガティブだと言われていた自分が、北海道の自然や同じ不登校をしている仲間との共同生活、そして、大越塾長のレクチャーなどを通して、自分の心や感情が解放されていき、ここに自分が居ていいんだと居場所を見つけられたと思います。元気になっていき、ネガティブな思考から離れることができました。

4. 今の自分と昔の自分、一番変わったところは何ですか?

 不登校が始まった時には将来の不安や自分は生きている価値がないんだというネガティブな思考に囚われていた自分が、北海道で農業やカフェ、焙煎といろいろなことをさせていただいています。このことが昔の自分からしたら、びっくりですし、想像できていなかったと思います。

5. 今の不登校生へ(参考にしてください、マイエピソード)

 一番変わったところに書いたように、農業やカフェ、焙煎を地元東京から遠く離れた北海道、弟子屈でしています。今の自分がいるのも「出会い」があったからです。師友塾に出会ったこと、そこで同じ不登校生と出会ったこと、そして何より、大越塾長という素晴らしい方に出会ったこと全てが偶然でした。その出会いがなければ今の自分はここにいません。
「あなたを助ける人はまだあなたが出会ったことのない人でしょう」という言葉があります。今後いろいろな出会いがあると思います。それら一つひとつを大事にしてください。きっと皆様の助けになると思います。

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